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第1回文芸懇談会

昨年、塾友・石田寛人様が小説『新ナブッコ物語』を上梓され、また和敬塾乾寮にて同人誌『乾文學』の刊行が軌道に乗ってきたことをあわせて、塾友塾生による文芸座談会を開催しました。歌舞伎、漢詩からAIまで話題は多岐に広がっておりますが、ぜひご一読ください。

もくじ

1. 『新ナブッコ物語』について

塾事務所・佐々木

本日はお集まりいただき、ありがとうございます。
今日は、3本くらいの柱をたててお話を進めたいと思います。一つは石田先生の書かれた『新ナブッコ物語』について、執筆のことや皆さんからの感想などいろいろと話していただきたいと思います。

次に「乾文學」について。乾寮の有志の方に来てもらいましたので、刊行した目的や制作の苦労もお聞きしたいと思います。そして石田さんがおられたころの和敬塾について「和敬今昔」とでも申しましょうか、せっかくのメンバーですから、このような話をしてみたいな、と思っております。

では、司会の私から自己紹介します。和敬塾事務所の佐々木と申します。今回の企画は、乾寮で「乾文學」の活動を盛んにやっていることと、もともと文芸肌の石田さんが著書を出されたことを考え合わせて、石田さんと乾文學メンバーが集まってお話したら面白かろうな、と思ったのがきっかけです。ちなみに今回の企画は「文芸懇談会」と名付けておりますが、佐藤専務のお許しはもらっていません(一同笑い)。それほど熱心に司会進行をするようなものでもないと思いますので、時々茶々を入れる程度で進めようかと思っています。ではよろしくお願いします。

乾寮・野中君

僕は乾寮2年の野中と申します。学習院大学の経済学部で、高校までは理系でしたが、受験の関係で文転したので、理系の話も少しはできるつもりでいます。文系理系問わずいろいろな話ができると思っています。よろしくお願いします。

乾寮・添田君

添田と申します。4年生で、早稲田の国際教養学部に在籍しています。実を言うと、僕は「乾文學」の創立メンバーではないので、体は大きいですが、それほど大きいことは言えないという次第で(笑)。国際教養学部ということで、広く浅くではありますが国際関係論を中心にやっております。個人的にはクラシック音楽に非常に関心があり、石田先生の本はヴェルディの音楽のことを思い出したりして、非常に楽しく読ませていただきました。

乾寮・伊勢君

3年生の伊勢と申します。乾文學の創立メンバーということで、最初に創設した方が留学に行ったので、今は私が中心になってやっております。早稲田大学文学部で中国文学を専攻しております。中国文学をやっておりますがもともと日本文学が好きで、日本文学をやっているうちに中国文学にぶち当たってしまったというところです。現代思想にも興味があって、和敬塾では教養講座のグレートブックスセミナーという西欧古典を読む活動に参加しております。これからいろいろ勉強していこうかなと考えております。よろしくお願いします。

石田寛人氏

私は昭和39年北寮卒の石田寛人でございます。私は東大原子力工学科の1期生なのですが、もともとあまり理系の仕事をやるとは思っていませんでした。私の父親は漢詩も詠みましたが英文学者です。私も文学部に進んで、文学を教えるような仕事になるのかなあと思っていました。高校のときに、父親から、これからは文学などは世の中の役に立たない。頭を動かすよりも、手で覚えるような仕事をやれ、といわれ、東大なら文系ではなく理Ⅰを受けなさいということになりました。

私は金沢出身ですが、明治以降、金沢から東京に出た人で、政治、経済で活躍した人は少ないようです。金沢の旧制四高は、官庁に進む人よりは教育界に進む人が圧倒的に多かった。父は、旧制四高を出ても典型的な文系である東大法学部や早稲田の政経学部のようなところにはかなわない、金沢はもともと理系が強いのだといっていました。また私は金沢大学付属高校を出ましたが、もともとここは第二次世界大戦の末期に科学技術振興ということで作られた学校でした。

かつて高等師範学校というものがあって、今の筑波大となった東京高等師範学校、それと広島高等師範。女子なら東京女子高等師範でのちのお茶の水女子大、関西なら奈良女子高等師範がありました。そのなかで金沢にも高等師範ができた。高等師範学校とは先生の指導をする先生を作る学校です。その金沢高等師範の中に、科学技術振興のための付属校を作った。この学校が実際にできたのは戦後でしたが、昭和二八年に学制改革があって、金沢高等師範の付属校が新制金沢大学の付属高校になりました。基本的に科学技術振興の学校ということで成績優秀者は理科系に行くという風潮があって、なんとなく私も理科系に進んだのですが、あとで文転しようという気持ちもありました。ところが文転しそこなって、原子力を勉強しながら公務員になった。公務員になったということは半分ほど文転したのと同じようなものかもしれません。

そういうことでずっと旧科学技術庁に勤務して、その後、在外勤務としてチェコとスロバキア大使を務めました。

私はそれほど音楽に詳しいわけではなかったのですが、先輩にワルい人がいて(笑)、チェコに赴任したらコンサートかオペラに行くといい、あそこはオペラが安いぞと吹き込まれました。

大使という仕事は、ことが起こった時には対処しなければならないのでのんびりしているわけにはいかないのですが、予定がない日の夜にはよくオペラに行っていました。そんななかで一番よく見たのはこの「ナブッコ」で、次は「アイーダ」「マダム・バタフライ」等。「ナブッコ」や「アイーダ」などヴェルディの作品は非常に人気がありましたね。

乾寮・伊勢君

その時の料金はいくらくらいでしたか。

石田寛人氏

よい質問ですね(笑)。今はまったく様変わりしましたが、当時はかなり良い席でも日本円で4,000円くらい。チェコの通貨はコルナといいますが、当時の為替レートで換算するとそれくらいでした。もっと安い席もあって千数百円台の席もありました。日本では考えられません。

私は和敬塾にいたときから歌舞伎や芝居が大好きで、1年上にいた学習院大の横内(謙二)さんからいろいろ教えてもらいました。彼に言われて歌舞伎座に行っていたものです。しかしチェコには歌舞伎なんかありませんから、オペラに行っていたのですが、オペラを見ながらも、いつも音楽の美しさを味わうべきところを、芝居の筋ばっかり考えていました。というのは私も芝居を書いたりしていますので、どうしてもそうなってしまう。

ほかにもいろいろあるのですが、本日の会に関してはまずはこんなかんじであります。

塾事務所・佐藤

私は明治大学経営学部でマーケティングを専攻していました。文学は全然やっておりませんが、今日はオブザーバーとして参加いたします。就職してからはずっと営業をやっており、最後は工場長、海外担当となって、今は和敬塾におります。人生というのは分からないなあというのが実感であります(笑)。

塾事務所・佐々木

いまちょうど演劇の話がでましたが、私もじつは学生時代に歌舞伎座によく通っていました。オペラのS席で3,000円くらいというのは、歌舞伎座でいえば3階のB席の値段と同じくらいでしょうか。そう考えると非常に安いと思います。チェコといえば理系文系の様々な文化で有名ですが、オペラの話をうかがうと文化的な厚みを感じました。

さっそく『新ナブッコ物語』についてお話を進めたいと思います。

読んでみるとやはりオペラの場面が目に浮かぶようです。オペラというのはたいへんお金がかかるそうで、石田さん個人の力でオペラにするのは大変かもしれませんが、一度舞台で見てみたいなあと思いました。それではこの『新ナブッコ物語』について石田さんからお話をお願いしたいのですが、いかがでしょうか。

石田寛人氏

そうですね。『新ナブッコ物語』を書いた動機ですが、ひとつには男が女に尽くす恋を書いてみたかった。谷崎潤一郎の『春琴抄』のような小説を思い描いていました。またいくつかの恋愛が同時進行するような小説にならないかなという構想もありました。

プラハにいたときに、オペラの「ナブッコ」は20回以上は見ております。そのときはオペラや歌舞伎を小説化したものを書けないかなと思いながら見ていました。とくに歌舞伎などは大変複雑なストーリーなので、もっと多くの人に馴染んでもらえるようなことができるのじゃないか。

例えば「アイーダ」の「凱旋行進曲」はみんな知っているけれども、あの行進曲がどういう場面でどうして出てきたのか、またその行進曲のあと、物語はどうなっていくのかはあまり知られていません。というよりも無関心なんですね。けれども本当はオペラでも筋というのは大事なんじゃないか。そう思う背景に、歌舞伎のことがあるのです。

慶長年間に歌舞伎ができたとき、阿国歌舞伎は踊りが中心でした。念仏踊りです。並行して人形浄瑠璃ができてきましたが、人形浄瑠璃はストーリーがすごいレベルに達しています。知人の外国人を連れて歌舞伎を見に行くことがあるのですが、彼らが感動するのは舞踊ではない。舞踊には言葉はいらないし、見ていてきれいだから外国の人も喜ぶのじゃないかと思うのですが、むしろ彼らは筋の複雑さを高く評価するんですね。

やがて人形浄瑠璃のストーリーを歌舞伎でやるようになったのですが、ストーリーが本当に複雑で、これがなかったら歌舞伎は今のようにはならなかったのではないか。その複雑なストーリーがありながら、今ではその中の名場面だけをやっているわけですね。忠臣蔵なら「七段目」(祇園一力茶屋の場)の大星由良之助と寺岡平右衛門、その妹のお軽の出てくる名場面ですが、「七段目」だけを上演するのは、歌舞伎を切り取って見ているだけではないか。オペラでは有名なアリアは人気がありますが、私はストーリーも重要であると思いましたので、この本では、舞台には忠実に、そして舞台の背後に何があったのかということをふくらませるようにできないかなと思いました。

そうなると小説化するにあたって、舞台進行を見ながら、状況を読者にレポートする人物を作ったほうが楽になるのではないか。そこで「ブドバ」という登場人物を作りました。男ですけれども、女として王女アビガイッレの侍女になっている。また侍女ですから比較的自由にいろんなところに行って状況を報告させ、それによって物語を進行させるという架空の人物です。チェコでみたナブッコの舞台では、侍女がたくさん出てきますので、その中の一人だという説明もできるんじゃないかと考えました。

では、なんで「ブドバ」という名前にしたか。チェコに「ブドバール」というビールがあって、日本でも売っています。これを英語で読むとあの「バドワイザー」ビールとなる。アメリカの会社が作っている世界的ビールですが、ヨーロッパの一部では「ブドバール」という名前はよく知られています。また、そもそもビールの起源は諸説あるようですがメソポタミアもそのひとつだといわれているので、そういうことも踏まえてみました。

もともとナブッコの筋はくるくると展開していくところが面白くて、バビロニアの王女フェネーナ(アビガイッレの妹)とヘブライの王子イズマエーレの恋もあるんですが、「アイーダ」のような濃厚な恋愛ではない。アイーダはヴェルディの出世作ではありますけれども、「ナブッコ」より「アイーダ」のほうが面白いという位置付けになっております。そこでアビガイッレとブドバの、谷崎でいえば『春琴抄』に出てくる丁稚の佐助のような、相手に身を捧げる恋というのを入れたというところがあるんですね。

私の『新ナブッコ』では「幕外」というのが最後についておりまして、これは明治の小説などではありましたけれども、いまでは書いてはいけないことになっている。金沢出身の泉鏡花が自分の小説(『義血侠血(滝の白糸)』)で長々と最後に幕外のようなものを書いたら、師匠の尾崎紅葉に怒られて全部削られたという話があります。幕外のようなものは、本当は小説の中に織り込んで書かなければいけない。だから作者としては、いささかこの部分について出来が良くないというか、恥ずかしいのを抑えつつ、つじつまを合わせたようになっています。友人から、もっと濃厚に恋愛場面を書いたほうが良かったのではないかと指摘を受けました。もっと深く書いておけば、最後に幕外の手紙文で説明することもなかったのではないか。たしかに全体として男女の愛が濃厚に描けていないため、いささか迫力に欠けるのではないかとも思っております。

ところで「ナブッコ」という作品はやはり西欧世界におけるオペラであるため、チェコの演出にかぎらず、バビロンの王宮やベル神の神殿などは、あきらかに邪教をあらわす舞台装置になっています。

たしかにバビロニア王ナブッコは物語の中で発狂するし、バビロン捕囚という事件も引き起こしている。最終的にはユダヤ教に帰依したということではありますが、ではユダヤ教が正統でベル神の信仰が邪教であるかというと、西欧人にとってはそうかもしれないが、日本人から見るとそうとも言えない。なるべく客観的にバビロンを描きたいという考えがありました。どの劇団の舞台を見ても、例えばアビガイッレの椅子は禍々しいかんじで過剰装飾になっている。しかしベル神の信仰もそれなりの内容があったはずだし、バビロンの信仰がおかしくてユダヤの信仰が優れていたと言い切れるのだろうか。そういうスタンスに立てないかなと考えました。ある意味、キリスト教社会に対する挑戦というところがあったかもしれません。

ちょっと飛躍しますが、そういう社会の常識みたいなものが積もり積もったものが、今のイスラム問題につながっているのではないか。サイクス・ピコ条約(1916年)のように、イギリスが世界を混乱させた元凶とか言われているけれども、もっと古いところにその動機があるのではないかと思ったのです。とはいえ、そこでユダヤとかイスラエルという言葉を文中に盛り込むと、今の中東問題などを直接連想させることになってきますので、言葉として作中では「ヘブライ」に統一してみました。

西欧文明の源流はヘレニズムとヘブライズムと言われ、それがローマに至り中世を経て文芸復興という流れです。西欧文明の大きな流れですから、ヘブライという言葉を使ってもいいんじゃないかと考えました。

またヘブライ王国のダビデ王は竪琴の名手という言い伝えを盛り込みたかったのですが、なかなか書き尽くせないものですから、文中でヘブライ人の歌う「行け、我が想いよ」(本文104ページ)では、「預言者の金色の竪琴よ」とか「黙しているか」「つらき悲しみの調べを響かせよ」「妙なる音を奏でさせたまえ」という言葉で表現してみました。「行け、我が想いよ」の詩もいろいろな訳があるのですが、日本語とイタリア語の詩を見ながら、私もそれなりに工夫してみました。この詩のポイントは竪琴に問い、語り掛けているというところなんですね。そこをきちんと表したかった。

それに対してアビガイッレを讃える歌(86ページ)の詩は、私が適当に作りました。オペラ「ナブッコ」ではこのようなことは言っておりません。ただオペラでも若干同じようなことを言っている部分があります。アッシリアはバビロニアとは違う国ですけれども、オペラのなかでは同じものとして扱っていて、「アッシリアは素晴らしい世界の女王だ」と言っており、そこに私なりに言葉を足して詩を作ってみました。

ナブッコが上演されるとき「行け我が思いよ」の歌は非常に人気があり、イタリアの第二国歌ともいうべき歌になっています。

最後に、話者の転換というところから見ると、冒頭からずっとブドバが一人称で語っていますが、最後に一回変わっています。それから話法の転換というのがいくつかあって、第1部の後半(33ページ)まではブドバは客観的に語り、そこから逆に主観的な語り口になり、最後に女性ではなく男性としての語り口に変わっています。

全体的にみると、基本的なところはオペラの流れからそれほど変わらないようにして、そのうえでブドバとアビガイッレの話を盛り込んだりしながら、最後まで興味を持って読んでもらいたいというのが狙いでした。

塾事務所・佐々木

どうもありがとうございます。皆さんが読んだ感想はいかがでしょうか。

私から言いますと、谷崎の『春琴抄』というところで納得するものがありました。ブドバはしゃべれない、『春琴抄』では佐吉が仕える春琴は目が見えないというところで重なるものがある。また相手に尽くすというところも重なってきます。ブドバの人物設定についていえば、最初は話者がわからないが、第一部の終わりのほうでブドバが語っていたということで謎が解けるという演劇的面白さがある。歌舞伎では「やつし」というのがあって、船乗りかと思ったらじつは平家の落人、平知盛だった(『義経千本桜』の『碇知盛』)というのがあります。ブドバの場合はこれが二段構えになっていて、女かと思ったら男だった、しゃべれないと思ったらしゃべれたというところが面白い。全体に演劇的に練り上げられている印象で、やはり舞台で見てみたいなという感想を持ちました。皆さんはいかがでしょうか。

乾寮・伊勢君

『春琴抄』を念頭に置かれていたというところで、なるほどと思いました。僕は物語やテキストの構造に関心があるのですが、この作品はオペラを想定しているということもあって、心理描写がないんですね。時間軸の移動も過去から未来に進むということで基本的に一定です。物語の構造としては前近代的で、それが内容とすごくマッチしているところが気に入りました。

話法の転換という点でいえば、女性かと思っていたら男性だったというところに決定的な断絶があって、ここが面白い。どうして面白いかというと、この後で回想シーンがあるのですが、話者が男になったとたんに物語の構造も一気に近代的になっているところです。だから幕外の「ブドバの長い手紙」と「ある商人のおしゃべり」が興味深かった。先生はブドバの手紙の部分は余分だったかもしれないといわれましたが、僕はそう思わなかった。というのは手紙で終わるというのは近代小説でもけっこうあって、漱石の『こころ』『行人』もそうです。しかもその手紙はたいてい告白的な内容です。だから最後は告白的な手紙で終わるというのはすごく近代的で、ブドバが女として語っているときは物語も前近代的な構造で進むのだけれど、男性に転換したときに物語も近代的になるところがスリリングだと思いました。手紙と告白については柄谷行人の『日本近代文学の起源』のなかに「告白という制度」という文章があって、告白という行動自体も、日本文学においてはそもそも近代になってからできたということで、手紙というのは象徴的だと思いました。

乾寮・添田君

私の場合、オペラに結び付けて読むことしかできないのですが、バビロニアを異端として描かないというところに読んでいて気が付きました。語り口がバビロニアの肩を持っているので、非常に斬新ではないでしょうか。筋書きからすると、バビロニアのほうに主人公を持ってきたのは非常に面白い。オペラであれば、普通はヘブライは善、バビロニアは悪ときっちり線引きするだろうし、それゆえ「黄金の翼に乗って」が美しく響いて、聴衆の心をキャッチしたんだろうと思います。当時(ヴェルディ作曲時)のイタリアが分裂状態だったという背景もあると思うんですが、この作品ではバビロニアの肩を持っているので、またこの歌も違ったふうに響いてくるのかなあ、と思いました。

塾事務所・佐々木

それはやはり現代風というところがあるのかもしれませんね。今の世界では絶対的な善とか絶対的な悪を想定するのは、かえって非現実的という印象があります。これを読むと、バビロニアがヘブライを攻撃する事情が書いてあるわけですね。ナブッコ王が活躍しているから、バビロンの民は恩恵を受けている。しかしそれを維持するためには、他国から人を連れてこなければならない。相手には相手なりの事情がある。そのへんは非常に今風で、昔からあるオペラという形式をとっているにもかかわらず、やはり今の時代が反映されるところがある。「新」とつく理由はこういうところかなと思いました。バレエやオペラで演出が変わったというのとは違うレベルで新しさがあるという事かと思います。

乾寮・伊勢君

それもあると思いますが、小説の形式で書いたというところも大きいのではないか。プラハで見たオペラでは露骨に邪教という演出がされていたそうですが、マンガも同じで、悪役はやはり典型的に悪そうに描かれている。しかし小説ではそのような視覚的イメージは弱いので、そのような立場で書くということがうまくいったのではないか。

石田さんがオペラを見たときの違和感を表現するときに、まず小説の形式でやるというのが内容に即していて成功していると思いました。それをまた舞台化するときには、それなりに改めて展開させるのだと思います。

石田寛人氏

筆者としては、善悪をはっきりさせてバビロニアを邪教だと書くような力があればそうしたかもしれないけれど、そう書くにはやはり力不足だった面があることもいわなければなりません。

塾事務所・佐々木

それと国民性というか文化の問題というと漠然としていますが、日本人としては善悪をはっきりさせると、ちょっとつらいなあという感覚があるのではないか。歌舞伎でも敵が味方になったり、その逆だったりという話がいっぱいありますので、あまりに二分法でいくと息苦しくなって、ついていけないなあというところもあるのではないでしょうか。

乾寮・野中君

僕個人は二分法でわけても違和感はないです。政治の世界でも二項対立があって、その中間に無限のグラデーションがあるのだろうと思うのだけれど、小説の中ということもあって、それほど違和感はないと思いました。

塾事務所・佐々木

たしかに二項対立というのは一種のエネルギーを生み出して、お話が進むというところがある。テレビの水戸黄門などはそうですね。

石田寛人氏

ところで皆さんは、歌舞伎なんかはどうですか。

塾生複数:残念ながらまだ見たことがなくて。

塾事務所・佐々木

それならば、せっかくなので石田さんにご指導いただきながら見に行くというのはいかがでしょうか(笑)。

石田寛人氏

いやいや、それは(笑)。

乾寮・伊勢君

歌舞伎は見たことがないのですが、上方落語が好きです。

乾寮・添田君

実は私は2回ほど歌舞伎座に行ったことがありまして、素養がないものですからイヤホンガイドを借りて見たのですが、何かの演目の時についうとうととしてしまいました。私は音楽が好きなものですから、生の三味線が聞けて楽しいのですが、なかなかガイドだけでは物語の人間関係まで分かるすべはないというか。

石田寛人氏

それはね、歌舞伎はうとうとするものだと思うんですよ(一同笑)。我々の生活テンポとはまったく違うというのもある。能でもそうだと思うんですけど、今のようにゆっくりやったかどうか疑問があります。能はもともと一日五番やっていて(五番立)、間に狂言が挟まれていた。武家のたしなみという面があるし、秀吉などは自分でもたくさん能を舞っているけれども、あの忙しい人がやっているのだから、今のようなテンポではなかったかもしれない。

今は歌舞伎も芸術作品と見るようになって、明治の演劇改良運動以降はなるべく丁寧に演じようということになった。そのころから日常の時間と違っているから、テンポが違うんじゃないかと思います。私もしょっちゅう、うとうとするからね(一同笑)。

歌舞伎も、水戸黄門のように、最後はどんなことがあっても必ず勧善懲悪で徹底している。しかし結果までのは演じきらないことも多い。有名な忠臣蔵では通し上演で討ち入りまで演じられますが、討ち入りは今は実録風の演出になっていて、それまでの芝居の味わいとはかなり異なります。「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)でも、菅原道真公(菅丞相)と藤原時平が出てくる最後のところまではやらない。我々が一番見ているのは「寺子屋」なんですね。松王丸、今でいえば車のドライバーですね。それが主人のために、自分の子供の首をあえて打たして、身代わりとして差し出す。たいていそこで終わっている。最後に道真公が恨みを晴らしてめでたしめでたしというところまではやらない。最終的には勧善懲悪主義ではあるけれども、一つ一つの場面ではそうではない。多くの歌舞伎を見ていると、日本人は悲劇を好むという傾向、それと複雑な展開を喜ぶように見えます。

塾事務所・佐々木

今の歌舞伎の演目は細切れになっていて、有名な場面だけをいきなり見ても、やっぱり眠くなると思います。背景も何も説明はなくて、いきなり始まっていきなり終わる。そうなると物語の全体性が失われるというか、物語は細切れで見るものではない。そうなると全体像の見直しというか再発見というのが、この小説と関わってくるのかなと思いました。全体像と展開の関係に注目すると面白いですよね。

石田寛人氏

昔のすべての日本人がそうだったかは分かりませんが、お芝居に興味がある人にとっては、忠臣蔵の内容は常識として知っていた。だから忠臣蔵の「七段目」は有名ですが、落語にも「七段目」というのがあるでしょう。芝居狂いの若旦那が出てきて、丁稚の定吉を上にあげて、忠臣蔵の七段目「祇園一力の場」のお軽と平右衛門の場面をやっている。二人で芝居をやっているうちに熱中したはずみで階段から定吉が落ちてくるわけですね。それを店の大旦那に見つかり「お前はどこから落ちたんだ」と問われて、「(階段の)七段目」と答えるのがサゲになっています。当然ながら落語を見ているほうも忠臣蔵を知っているというのが前提になっている。上方落語では「はめもの」といって、三味線や鳴り物がはいって、そこで芝居のセリフもあるわけですね。それには芝居全体の流れを知っていないといけないわけです。

塾事務所・佐々木

そうなると、伝統とか教養もかかわってきますね。先ほどの話でいえば、落語で笑うためには歌舞伎の教養、といっては言い過ぎかもしれませんが、それが必要なんですね。色男を「定九郎」(忠臣蔵の登場人物)といってみたり、そういうのが分からないと面白さが分からないのではないか。しかし、今の人は歌舞伎を見ていませんから、みんなが教養を共有しているわけではない。そのへんのことについて、皆さんのお話を聞いてみたいですね。いかがでしょうか。

乾寮・伊勢君

僕は中国文化の勉強をしているのですが、京劇も中国のオペラと言われたりしますが、あれも名場面だけを上演しています。僕が面白いと思ったのは、「覇王別姫」(はおうべっき)といって項羽と虞美人の物語で、普通にやればすごく長くなるのですが、一番よいシーンだけを30分ぐらいでやるようなかんじです。『史記 項羽本紀』の、項羽軍を包囲した楚の兵士が歌うという有名な「四面楚歌」のシーンでは、唐詩が引用されていました。王翰の「葡萄の美酒 夜光の杯」とか、陶淵明の『帰去来の辞』とか、「漢」の兵士が「楚」歌という名目で「唐」詩を歌うという非常におかしなシーンがある。項羽はそれを聞いて、周りは楚の者ばかりかというのですが、時代的にはおかしい。だからといって、当時の『楚辞』などを歌っても誰もわからないから、みんなが知っている詩を歌うわけですね。歴史物のフィクションにはそういう面があって、そういうところが、今僕たちが古典作品を楽しめるかというところにかかわってくるんじゃないかと思いました。

石田寛人氏

日本でも『妹背山婦女庭訓』(いもせやま・おんなていきん)という芝居があるんですね。妹背山は飛鳥時代の藤原不比等(藤原淡海)とか、蘇我入鹿が出てくるのですが、じつは町屋の場面になって、杉酒屋というのがでてくるが、そこの場面の女は明らかに江戸時代の女です。店の客も丁稚であったりして、江戸時代の庶民が上代の庶民の姿を想像することは極めて難しいから、安直に江戸時代の風俗が出てくる。芝居を見てもらうためには、そういうところも必要だった。

塾事務所・佐々木

たしかに芝居は学問とは違って楽しむという面が強いから、たとえ時代考証がめちゃくちゃであっても、良い詩をそこでいっぱい見たほうが良い。そのほうが心が豊かになるかもしれないとは言い過ぎかもしれないけれど。面白いし楽しいし、見た後で、なるほどなと納得するものがあるんじゃないでしょうか。

物語と歴史の違いというのはやはりあって、歌舞伎を見ているとあまりに荒唐無稽な話が多くて、例えば江戸時代の話を鎌倉にもっていってみたり、無茶苦茶になっている。あるとき、演劇科の先生の話を聞いたら、江戸時代の当時の人も馬鹿じゃないから、この芝居の設定が荒唐無稽だということは分かって見ている。しかし、その時点でのスキャンダルを今の週刊誌のように暴きたてるのは、幕府ににらまれたりして危ない。そこで500年前に時代をもっていって、見ている人はこれは現代の話だなと思ってみるという二重構造をわかったうえで楽しんでいたそうです。

乾寮・伊勢君

黄表紙でも『偽紫田舎源氏』(柳亭種彦 にせむらさきいなかげんじ)とかがありますね。

塾事務所・佐々木

そうすると普通の人の、庶民的教養といっていいのかしらんけれども、そんなに難しいことを正確に知っていなくてもよい。むしろ、昔こういう事があったんだよねとか、こういう詩を知っているとかっこよいとか、もてるよねとか。そういうのがあれば十分でもあった。というか、今そういう種類の教養もあるのかなとも考えました。ちょっと昔ならあったような気がするし、そうであれば洒落も言い合えるし、芝居見ても楽しめる。

皆さん「お富さん」(1954年 春日八郎)という歌を知っていますかね、「粋な黒塀、見越しの松に」「死んだはずだよ、お富さん」。これは「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし 切られ与三)という芝居をもとにした歌なんですけれど、昭和30年代、40年代の歌謡曲は歌舞伎を知っていることが前提だったんですよ。

石田寛人氏

ほかには「弁天小僧菊之助(白浪五人男)」を題材にした「弁天小僧」(1955年 三浦洸一)という歌もあった。今は感覚がすっかり薄れたが、「鎌倉三代記」に北条時政が出てきたら、徳川家康だということはみんな知っていて見ていた。

乾寮・伊勢君

三島由紀夫の『文化防衛論』で、「文化を守ることは常に同時代と関係を持っていないといけない」と言っている。まさにその通りだと思う。ありのままを大事にしましょうと言って専門家に分析させるとかではなくて、自分たちが参加して、自分たちがやらないといけない。流行歌に入っているというのもそうだが、尊いものであるのは確かだが、卑近なものというか、手に届くものとして存在し続けないと守っていけないのではないかと思います。

塾事務所・佐々木

最近、歌舞伎でマンガの『ワンピース』を取り上げたようです。人気マンガを歌舞伎にしてしまうというところをみると、歌舞伎はいまだに活発に生きている芸能だし、新作が出るということは活気があるということでしょう。子供も含めてみんなが見に行くと、お金も動く。「初音ミク」というキャラクター付きの音楽ソフトがありますが、あれで歌舞伎をやるらしいです(「今昔饗宴千本桜」はなくらべせんぼんざくら)。思いついた人は、いったい何を考えているのか(笑)。前例としては冨田勲が、オーケストラと『銀河鉄道の夜』をやったというのはありました(「イーハトーヴ交響曲」)。たしかに今風のチャラチャラした面はあるのですが、現代に生きているなあと思うところがあります。

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