3. 和敬塾今昔
和敬塾では毎年4月に受入(新歓)行事がありますが、石田さんの時代はいかがだったでしょうか。そういうものはなかったという話も聞いたことがありますし、お茶会で終わっていたというのも聞いたことがある。
私の時代は、まだ塾も始まったばかりで定例行事的なものもまだ固まっていない時期でしたので、受入行事のようなものはまったくありませんでした。ただ、いろいろな人が入ってくるので、あいつは生意気だとかいうむきもありました。当時は浪人して入ってくる人も多かったので、1年生と2年生で年齢が逆転していることもよくあった。そういうところで通過儀礼的なことをやったほうがお互いやりやすいというところがあったのかもしれないが、我々のころはまったくそんなものはなかった。今は実際にはどんなことをやるんですか?
乾寮は今はまったくやってないに等しいくらいですが、私が入ったころはまだ激しいところがあって、そのあとにそういうものはなくしました。
私のときは、初日は穏便に先輩と顔合わせをする。新入生一人ずつにチューターと呼ばれる指導役の2年生が一人つく。その人にしたがって和敬塾はこういうところだと教わっていく。師弟関係に近いものがある。二日目からが本番で、先輩に怒鳴られて、でかい声を出して自己紹介の文言を暗唱させられる。覚えるまで帰れない。肉体、とくに声帯にすさまじい負荷をかけることをやって、和敬塾における自己紹介を教え込まれる。こんどはそれを寮内の2年以上の先輩全員に対してやる。部屋廻りと称して、30分から1時間以内で先輩の部屋に行って自己紹介して話をしてくる。そのときの自己紹介は絶叫で、文言を間違えたら最初からやり直し。それをやった後に面談があって、わりと高圧的なことを言われる。それを3週間くらいやって終わるというのが、私の経験した受入行事です。
なぜか知らないけれど、それが終わってはじめて、俺たちの仲間にはいるとみんな信じている。たちが悪いのが、それが和敬塾の伝統だといわれていることです。和敬塾も60年の歴史があるので、伝統的な寮だと紹介されることがある。前もテレビで「伝統的な和敬塾で行われている伝統的な行事」みたいな言われ方をする。あたかも和敬塾が60年間そういうことをやっていたかのような錯覚をいだかせるように言っている。「伝統」と「伝統的であること」はべつものだと思うが、あまりにも皆がそこをはき違えて混同していると思います。
伝統論を言う人は、世代ごとに受け継がれたそれなりの理論武装をしているんですよ。
それはいつからでしょうね。少なくとも私が寮生だったころには、入塾したときにもなかったし、出たときにももちろんなかった。そういうことはまったくしたことがありません。
たしかに寮に入って多くの仲間と一緒になるのだから、きちんと自己紹介しなければいけない、これは誰しもそう思っている。田舎から笈を背負って出てきて、都会のなかでは振る舞いとして未熟なところもあるだろうと思う。そういうところで人間関係の軋轢衝突はどこでもあるだろうと思う。仲間にはいるのだから挨拶しなさいという人はいたけれど、今聞いたようなプラクティスやルーティーンをやるようなことは考えられなかった。昭和30年代はそんなことはなかったとはっきり言えるし、昭和40年代のころもそんなことはなかったと思う。
その中でも乾寮は自分たちになりにやってきたところがあって、まだ出来て8年目ですが、ある時期に先輩たちがほかの寮に認められたいということで、同じような儀礼を始めてしまったのですが、ここ数年、佐藤さんが来てからきれいさっぱりなくなってきて、今は別のことをやっているというところです。
肉体に大変な負荷をかけるようなことをして、しかも時間的にも大変じゃないですかね。和敬塾創立以来そんなことをやっているかというと、そんなことはない。
僕が入寮したときの印象としては、あ、これはずっとやっているんだと思った。伊勢さんは「これは伝統ではない、慣習に過ぎない」といっていたのは覚えているけれど、全体の雰囲気がそうだった。
それははき違えている人があまりにもいるし、その人たちがあまりにも無自覚だから、ほんとにたちが悪い。
和敬塾を誤解している。
佐藤さんが言っておられたのですが、企業30年説というのがあって、和敬塾は今60年目、2回目の30年なんです。最初の30年は創設の気運がみなぎっていて、前川喜作さんがじきじきにかかわっていた。そのあとの30年は、その余韻でやっていたようにも思う。しかし60年たつと社会環境も大学生自体も変わってきているし、末法思想ではないけれど当初の理念もブレてきたところがあるのかもしれない。だから、60年を機にリバイバル、ルネッサンスというか、根本に帰って今の時代をどうするかな、みたいなことやっていく時期に来ていると思っています。
そう思えば、60年目に『乾文學』ができたのは象徴的だな、と(「自分でそれいうか」とのつっこみあり)。
和敬塾はほかの寮と違って、大学も出身地もバラバラなので、全体としてのアイデンティティをきちんと持ちたいというのは我々の時代にもあったと思います。だからといって通過儀礼といって肉体に負荷をかけるようなことをしなくちゃいかんとは思ったことがなかったし、他の先輩もそんなことは要求しなかったし、私が先輩になったときもまったくそんなことはしなかった。
やはり若い人が集まると暴走するところがあったのかもしれないが、暴走ばっかりではちょっとよくない。大学生の本分は大声出すことではないでしょう(笑)。もちろん時々大声出してもいいけれど、大学時代というのは自分を育てる時間であって、和敬塾は大学生の学生寮ですから、根本に立ち返っていけばよい。やっぱり時々ブレは生ずるかもしれないけれども、根本は前川喜作さんがしっかり作ってくれているので、そこに戻ればよいという安心感はあります。まあ口でいうよりは大変ですけど。
前川喜作さんは、そんなに難しいことを言っていたわけではない。普通に塾に集まって、一緒に生活していれば、お互いに自然に影響を与え合うということがあります。普通に影響を与え合いながら普通に育っていってくれればいいと思う。そんなむずかしいプロセスをとる必要はないと思います。
基本はそこなので、やはり原点回帰が大事なのだと思います。今回はこのような機会がもてましたので、また楽しい話ができたらいいですね。
私は、今日はつたない話で申し訳なかったけれども(「いえいえ」と参加者)、私の知り合いで様々な分野の専門家がいますから、今度機会があれば一緒に来てもらって、皆さんと次元の高い議論をしてもらえるのではないかと思います。
『乾文學』について一言いわせてもらえれば、本当に面白い企画だと思います。基本的に文学というのは人に読んでもらうのが大事であって、きちんとメッセージが伝わるような基本的なテクニックが非常に大事です。読ませてもらうと、しっかり書けている人もいるが、その基本的なテクニックをきっちりと身につけてほしいと思います。これが愛しい後輩に対するアドバイスです(笑)。
勉強しつつ、これからもやっていこうというところでしょうか。
私も立場上文書を書く仕事が多いのですが、こればっかりは実際に書かないと身につかない。皆さんはぜひ乾文學という場でいろいろなことを学んでほしいと思います。
もう少し話してみたい気もしますが、そうなると今度は深夜12時になりそうなので、今回はこのくらいにしたいと思います。皆様ありがとうございました。
今日はありがとうございました。また機会がありましたら、どんどん声をかけていただきたいと思います。
一同:どうもありがとうございました。
※附記
この座談会では、漢詩とAIの関係について語られていますが、伊勢君による詳細な論考がこちらに掲載されております。ぜひご覧ください。
『乾文學』第7巻 8月特別号「人工知能は万古絶唱の夢をみるか?」(114~167ページ)