|
[1つ前へ戻る] |
1910年(明治43年)〜1986年(昭和61年) 群馬県吾妻郡生まれ。二松学舎専門学校卒。中国北京に外務省より留学。満州国外交部に任官。北京大使館で終戦。1946年恩賜財団同胞援護会常任幹事就任。1947年より二松学舎大学評議員・理事・教授を経て、1962年理事長、1975年学長に就任、1986年まで現職。群馬県遺族の会(1946年設立)会長、日本遺族会副会長(1979年〜)、英霊にこたえる会副会長(1980年〜)として靖国神社国家護持運動を展開し、日本民族の精神復興に賭けた。また1947年、占領政策への反骨から、青少年に民族の誇りと愛国心を失って欲しくないという願いで、その精神昂揚を目論んで編集した全44枚の「上毛かるた」には「『国造り四本柱』の札」とした四枚が存在する。念願とした「品格ある道義国日本の再興」は、「仁」の精神から生れる人間愛・郷土愛が人類愛と世界平和につながるという思いであった。母校二松学舎大学を中興し、1975年台湾中華学術院より名誉哲学士。1976年藍綬褒章受章。1977年台湾政府より文化褒章受章。1979年第1回大学振興功労大章受章。1983年勲二等瑞宝章受章。 発行著作物 「上毛かるた」(児童福祉法推薦文化財)財団法人 群馬文化協会 「私の足跡」学術通信社 「浦野匡彦伝」「浦野匡彦言論集」二松学舎 「上毛かるたのこゝろ――浦野匡彦の半生」財団法人 群馬文化協会 ほか、発行物・論文多数。 |
和敬塾講演会ライブラリー © 公益財団法人和敬塾 |